ママデューク

アクセスカウンタ

zoom RSS 読書感想文 30

<<   作成日時 : 2008/10/27 01:34   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

画像「はだかの王様」の経済学」(著 松尾 匡 http://matsuo-tadasu.ptu.jp/essay_80606.html
人々の間に依存関係があるのにバラバラになっていると、それを媒介するものが外にひとり立ちして、個々人のコントロールから離れる。人間の外にひとり立ちした社会的媒介が主人公となって一人歩きし、生身の個々人を手段として組み伏せていくという疎外の説明は分りやすくなされていた(疎外の例 「媒介物」貨幣、「生身の個々人」
商品生産者)
疎外をなくそうという方法
依存関係の方をなくし自給自足するという方法。なるべく他人と依存しあわず、依存する時はなるべく少人数で済ませる。誰にでも手の届く範囲(例:経営に誰でも参加可能など)でやれば、社会全体を動かす観念が個々人の手を離れて一人歩きする事がなくなる(主に自給用の農場・工場を備え、皆で自治する小共同体を建設して、下から世の中を変えていく志向)
国家権力を奪取し、上から個々人をつなぎ合わせる事で、バラバラな人間関係をなくすという方法(資本主義により作り上げられた巨大な依存関係は今更壊すわけにはいかないので維持したまま、人々が交流してその依存関係を自由な合意でコントロールしようという志向)
「資本論」の資本主義経済システム批判は、不平等拡大や労働者の貧困、失業・恐慌などの市場のアンバランスなどを単に批判するものではなく、貨幣が勝手に自己膨張して、その貨幣に個々の労働者だけでなく支配階級の資本家までが振り回され誰も幸せになれないという疎外の事実を問題にしたものであるという説明が分りやすかった
旧ソ連などの社会主義国では、労働者が自由にコントロールできない市場から労働者が疎外される資本主義経済の代わりに、労働者が自由にコントロールできない官僚の命令により労働者が疎外される計画経済が行なわれただけで、自分の自由にできないものに従わなければならないという疎外の構造はかわっていなかったという説明が分りやすかった
唯物史観「経済的土台の胎内で、次の時代の新しい生産様式や社会の仕組み(下部構造)が育ってきて、それがじゅうぶん育った後で、その現実を追認する形で、政治的上部構造がそれにふさわしいものに取り替えられる」の説明が分りやすかった
「方法論的個人主義」(主流派の新古典派経済学)
自分の利益を少しでも良くしようとする個々人の振る舞いから積み上げて社会全体の秩序を説明していく方法
個々人の消費・生産・雇用などの決定が全体で合わさって社会全体の財・サービス・資本・労働などの需要量・供給量を決める。そして価格を通じて需要と供給のバランスをとり「均衡」を実現する。
方法論的個人主義の立場から個々の消費者・企業の最適化問題を積み上げたら、全く同じ条件の下で経済全体の均衡状態が複数あり得る事が示された。これにより方法論的個人主義の立場からも市場の中のやりとりだけでなく社会制度や法制度・文化慣習などの分析もできるようになった。
方法論的個人主義から、既存の秩序の影響で現在取られている均衡がとられるようになり、その結果がまた既存の秩序を強化する事になるという構造を明らかにする事もできた。また方法論的個人主義は、現在の秩序より別の秩序の方が良いから社会を変えてもっといい均衡に移ろうとか、何らかの条件が変わったら別の均衡に移る事になるとかいう社会変革に、客観的な根拠や見通しを与える議論になっている(個々人の都合を総合した結果出てくる社会変革の必要性が分りやすく説明できるようになった)
「ゲーム理論」(新古典派経済学からでてきた理論)
お互いに影響しあう複数の個人の間の意思決定を理論にしたもの。各自の意思決定の際、自分の振る舞いが他人に影響を与えるのを考慮しないわけにはいかない。他人が私の行動の影響を受けてどう行動し、それが私にどのように跳ね返ってくるのかあらかじめ読んでから私の行動を決めなければならない。それを考えるのが「ゲーム理論」
地震ゲームを使って、「いったん歴史的に文化的行動様式が与えられたならば、社会の条件が変わってもっと別のやり方をした方が全員が良くなる場合でも、依然として古いやり方に人々が縛られてしまう」という「制度の弊害」を分りやすく説明している所が良かった(個々人の利得表を出した方法論的個人主義の手法に立つことで、「制度の弊害」の不合理を客観的に表す事ができるようになった)
「ナッシュ均衡」(ゲーム理論に出てくる言葉)
ある状態における各自の戦略を、他者が取り続ける限り自分も取るのが最適という状態に、お互い皆がなっている時の状態(例:皆が「王様ははだかだ」と言っている場合には自分も「王様ははだかだ」というのが妥当であるという状態)
「パレート均衡」(ゲーム理論に出てくる言葉)
これ以上誰かをトクさせようとしたら別の誰かが犠牲にならなければならないという意味で、もうこれ以上全員が良くなれない状態
「方法論的全体主義」(非主流派の経済学からでてきた理論)
社会や経済に全体的な法則がある事を前提にして、そのような法則が個々人の行動を規定するという理論(方法論的個人主義は市場経済内の分析しかできず、法制度・慣習・組織・家族などの制度の経済へ与える影響を分析できないという批判のもとに出てきた理論。社会全体の法則を簡単な式で持ち出すので高等な数学をあまり使わないのも特徴)
方法論的全体主義は「悪いのは社会のせい」と一見社会変革を主張しているように見えるけれど、「制度が根拠なく存在する」という立場なので、自分の主張したい制度にも根拠がなく(自分の主観的価値観だけで選ばれただけだから)、「どんな社会がいいのか」について何も言えなくなる

全体的に
疎外の説明は分りやすかったが、媒介物のない透明な交通という疎外のない状態は、本当に実現可能なのか?そもそもそんな状態を考える必要があるのか?(疎外状態が現実なのだからその現実から何ができるか?を考えるべきではないか?)と思った(仲正昌樹ではないけれど、疎外のない状態を求めれば求めるほど益々疎外状態の泥沼の深みにはまってしまう仕組みになっているのではないかとも思った)。
疎外克服方法として「人々の間の話し合い」を過度に重視しているが、話し合いではうまくいかない場合も多いとボクは経験的に思った。
個人の利益最大化から社会全体の秩序を説明する方法論的個人主義の手法の方が、個人の意思に配慮している点で良いと思った。またゲーム理論などにより複数の均衡があり得る事が証明され、現在の秩序より別の秩序のほうが良いから社会を変えてもっといい均衡に移ろうとか、何らかの前提条件が変わったら別の均衡に移る事になるとかいう話もでてきて、市場へ影響を与える秩序の変革も分析できるようになり、ますます良い手法だとボク的には思った
唯物史観の話「民衆が社会の仕組み(下部構造)を変えてから政治体制などの上部構造がそれを追認する形でかわっていく」は基本的に支持できる考えだとボク的には思った。しかし具体的な事情(特に大きな事業を行なう場合など)においては、国家権力を奪取し上から社会を変える必要もでてくるだろうし、ケースバイケースで有効な方法をとれば良いと思った(必ずしも下部構造変革が「先」・上部構造変革は「後」でなくても良いというくらいの意味)
自分達のできるところから少しずつやっていこうという著者の姿勢にはボク的にはかなり共感がもてた。ナカナカ分りやすく為になる本。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
読書感想文 30 ママデューク/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる